2016-01-01から1年間の記事一覧

寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」を読む1~10

寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」を読む1 寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」(講談社)は第24代首相加藤高明の生涯を述べた伝記小説として1994(平成6)年出版された作品です。 この小説第一章は加藤高明の生まれ故郷の描写から始まります。彼は186…

佐木隆三「伊藤博文と安重根」を読む11~20

佐木隆三「伊藤博文と安重根」を読む11 李麟栄は1896(明治29)年の初期義兵で柳麟錫の下に参加、解散後農業に従事していましたが、原州で決起した李殷瓚・李九載らの勧誘で倡義(義を唱える)大将として1907(明治40)年8月関東(大関嶺より…

佐木隆三「伊藤博文と安重根」を読む1~10

佐木隆三「伊藤博文と安重根」を読む1 佐木隆三「伊藤博文と安重根」(文芸春秋)は明治時代の元勲の一人で、初代の韓国統監を勤めた伊藤博文が1909(明治42)年ハルビンで韓国義兵安重根に暗殺された事件を中心に描いた小説で、1992(平成4)年…

片山 潜「日本の労働運動」を読む41~50

片山 潜「日本の労働運動」を読む41 このように日本社会党で直接行動派と議会政策派が大論争をくりひろげていたころ、1907(明治40)年2月4日以降足尾銅山(「田中正造の生涯」を読む15参照)で大暴動が起こったのです(「日本労働運動史料」2 …

片山 潜「日本の労働運動」を読む31~40

片山 潜「日本の労働運動」を読む31 1901(明治34)年7月2日の「万朝報」(「同左」36日本図書センター)紙上に社長黒岩周六の「平和なる檄文、理想的団結を作らん」と題する理想団の趣旨説明があり、同年7月20日開団式が挙行されました。発起…

片山 潜「日本の労働運動」を読む21~30

片山 潜「日本の労働運動」を読む21 かくして明治時代の組織的な労働運動は僅かな例外を残して壊滅状態に陥ったのです。僅かな例外としては「活版工組合誠友会」と「大日本労働至誠会」が挙げられます。 活版工組合誠友会は活版工組合規約運用停止とともに…

片山 潜「日本の労働運動」を読む11~20

片山 潜「日本の労働運動」を読む11 1886(明治16)年夏ころ、岡塾・攻玉社の友人の一人岩崎清吉が来年徴兵検査の年で心配しているのを見て片山潜は彼に渡米を勧めたのでした。 ところが岩崎清吉に渡米を勧めた片山潜は岩崎の郷里の森鴎村漢学塾幹事…

片山 潜「日本の労働運動」を読む1~10

片山 潜「日本の労働運動」を読む1 片山 潜「日本の労働運動」(岩波文庫 以下「本書」と略)には① 片山 潜・西川光次郎合著「日本の労働運動」(序文に明治三十四<1901>年五月の日付がある)、② 片山 潜「日本における労働運動」(英語版)-社会主義の…

木下尚江「田中正造の生涯」を読む21~30

木下尚江「田中正造の生涯」を読む21 正造は川俣事件被告51名のために大弁護団を組織、1900(明治33)年10月10日前橋地方裁判所で川俣事件第1回公判が開催されると、同公判を傍聴、12月なかごろまで前橋に滞在(「全集」⑮№九四八-九七二)…

木下尚江「田中正造の生涯」を読む11~20

木下尚江「田中正造の生涯」を読む11 栃木県においても国会開設運動を中心とする自由民権運動は盛り上がりをみせていました。1880(明治13)年3月10日嚶鳴社の沼間守一(ぬまもりかず)・青木匡・西村玄道3名は足利町の友人にまねかれて演説会に…

木下尚江「田中正造の生涯」を読む1~10

木下尚江「田中正造の生涯」を読む1 田中正造は幕府老中水野忠邦が天保の改革を開始した1841(天保12)年11月3日下野国安蘇(あそ)郡小中(こなか)村(栃木県佐野市小中町)で、父富蔵(25歳)、母サキ(22歳)の長男として生まれ、幼名は兼…

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む41~50

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む41 午後2時8分バルチック艦隊旗艦スワロフの司令塔にいたロジェストウェンスキーは射撃を命令、スワロフの主砲が三笠に向けて砲撃しましたが、砲弾は三笠を飛び越えて水煙をあげ、バルチック艦隊主力艦は主砲・副砲を発射…

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む31~40

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む31 その後何度か石炭を積み込みながら、アフリカ西岸を南下し、喜望峰及びアグラス岬の灯台を回って艦隊はインド洋に入り、1905(明治38)年1月9日マダガスカル島のノシベに入港しました。ノシベ港にはすでにフェリ…

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む21~30

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む21 これに対して同年3月27日社説「嗚呼増税」を掲げた同新聞は発禁処分を受けましたが、平民新聞は引き続き発行され、同年7月24日(第三十七号)には「与露国社会党書」への「イスクラ(火花)」(ロシア社会民主労働…

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む11~20

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む11 1901(明治34)年3月12日加藤高明外相は伊藤博文首相にロシアの満州占領に対処する方針について閣議での討議を要請する意見書(「日本外交文書」第34巻)を提出しました。その方針とは① ロシアの満州侵略に抗…

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む1~10

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む1 司馬遼太郎「坂の上の雲」(「司馬遼太郎全集」24~26 文芸春秋)は伊予松山出身の秋山好古・真之兄弟・正岡子規の生涯を中心に、日清戦争・日露戦争時の日本の栄光と発展を明るく描写した作品です。 司馬遼太郎氏はこ…

松本清張「火の虚舟」を読む11~20

松本清張「火の虚舟」を読む11 篤介の担当は国憲案の調査検討で、彼は汚れた単物(ひとえもの 裏のない一重の夏衣服)の上に小倉袴を着け、いり豆を袂にいれて官署(役所)に出かけ、暇させあれば豆を出してポツリポツリと喰っていたので、ついに豆食い書…

松本清張「火の虚舟」を読む1~10

松本清張「火の虚舟」を読む1 松本清張「火の虚舟」(文芸春秋)は明治の自由民権運動の中心的理論家で「東洋のルソー」と呼ばれた中江兆民の生涯を講演形式で叙述した作品です。 中江兆民は多くの著作や翻訳があるにもかかわらず、自伝もなければ日記もつ…

児島襄「大山巌」を読む41~50

児島襄「大山巌」を読む41 朝鮮では1895(明治28)年初頭、政府の重要部署に日本人顧問を登用するなど、清国の影響を排除する改革が進行するかに見えたのです。しかし日本が三国干渉に屈服すると、朝鮮の政治情勢は急速にロシヤの影響力に頼る傾向を…

児島襄「大山巌」を読む31~40

児島襄「大山巌」を読む31 1892(明治25)年8月8日第2次伊藤博文内閣が成立、外務大臣は陸奥宗光、大山巌は陸軍大臣に復帰しました(「官報」)。 同年11月30日フランスから廻航していた砲艦千島が瀬戸内海で英国船ラヴェンナ号(ピーオー社…

児島襄「大山巌」を読む21~30

児島襄「大山巌」を読む21 1882(明治15)年8月5日大山巌が帰京したとき、夫人沢子は病床に伏し、容体は重篤となっていました。大山はドイツ人医師で1876(明治9)年東京医学校(東大医学部の前身)教授として招聘されたエルヴィン・ベルツの…

児島襄「大山巌」を読む11~20

児島襄「大山巌」を読む11 1870(明治3)年8月15日大山弥助らは普仏戦争観戦を命ぜられ、8月28日横浜から米飛脚船クレド・ハフリック号で出発、太平洋を横断、サンフランシスコからニューヨーク経由で大西洋を渡り、10月23日ロンドン到着、…

児島襄「大山巌」を読む1~10

児島襄「大山巌」を読む1 児島襄「大山巌」(文春文庫)はのちの元帥陸軍大将大山巌誕生の叙述から始まります。大山巌(岩次郎)は1842(天保13)年10月10日鹿児島城下加治屋町の下級武士大山彦八綱昌(西郷竜右衛門次男)の次男として出生しまし…

城山三郎「雄気堂々」を読む11~20

城山三郎「雄気堂々」を読む11 1868(慶応4・明治1)年4月24日関東監察使三条実美は江戸城に入り、大総督以下と協議し、田安亀之助を徳川家相続者とし(「維新史料綱要」巻8)、駿府(静岡)において70万石を賜ることに決定、同月29日亀之助…

城山三郎「雄気堂々」を読む1~10

城山三郎「雄気堂々」を読む1 城山三郎「雄気堂々」(新潮文庫)は最初「寒灯」の題で「毎日新聞」1971(昭和46)年1月1日から同年12月23日まで連載され、単行本として出版されたとき、上記のように改題されたもので、明治財界の草分けであった…

久米邦武「米欧回覧実記」を読む21~30

久米邦武「米欧回覧実記」を読む21 アレクサンドル2世が1861年に発した農奴解放令を、我が国の1872(明治5)年田畑永代売買の禁令撤廃と比較して、「実記」は次のように記述しています。『○露国隷農解放ノ令ヲ発シテヨリ、二年ヲ経テ、六十三年…

久米邦武「米欧回覧実記」を読む11~20

久米邦武「米欧回覧実記」を読む11 「実記」には1872(明治5)年10月10日の記事がありませんが「木戸孝允日記」(明治五年十月十日条)に「六字過伊藤来て南貞介(助)の寄留せるアメリカンジョイントナショナルバンク之困難を告げ為其南貞介并同…

久米邦武「米欧回覧実記」を読む1~10

久米邦武「米欧回覧実記」を読む1 久米邦武編「特命全権大使 米欧回覧実記」(岩波文庫 以後「実記」と略)は最初の「例言」において、本書の特徴を次のように述べています。 一 此書ハ、遣欧米特命全権大使(天皇代理として国事を取り計らう権限をもつ官吏…

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読む11~20

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読む11 坂本龍馬がお龍を知ったのは1864(元治1)年夏、池田屋事件の前ころと推定されます。お龍は青蓮院宮家侍医楢崎将作三姉妹の長女で、将作の死後禁門の変が起こり京都は焼亡、一家は離散、美貌の妹たちは悪人の手にか…

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読む1~10

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読む1 司馬遼太郎「龍馬がゆく」(司馬遼太郎全集第3巻 文芸春秋)は1962(昭和37)年6月21日から1966(昭和41)年5月19日にかけて「産経新聞」の夕刊に連載された長編小説です。 近世の土佐藩は関ヶ原の戦い…