2018-01-01から1年間の記事一覧

幸田真音「天佑なり」を読むⅤ-11~15

幸田真音「天佑なり」を読むⅤ-11 パリー出発前、英国の銀行団へはあらかじめパリーにおける談判の経過を報告し、同時に高橋は1905(明治38)年11月18日夜ロンドンに帰るから、即夜ホテルにて会見したき旨を申し送っておいたので、同夜英国の発…

幸田真音「天佑なり」を読むⅴ-1~10

幸田真音「天佑なり」を読むⅴ-1 これより先第一回4分半利付き公債の募集が結了した直後、パンミュール・ゴールドン商会のコッホ氏を通じ、巴里株式取引所仲買委員 長ヴェルヌイユ氏から、フランス大蔵大臣ルビエ氏の命によって、ごく内密で面会したしとの…

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-31~40

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-31 アメリカ資本団の意向は先述の通りであるので、高橋は至急ロンドンに引き返すことに決心し、6月18日正金支店長の山川勇木宛てに「6月24日(明治38年)汽船エトルリア号にてニューヨークを出発し、7月3日ロンド…

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-21~30

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-21 1905(明治38)年2月17日横浜を発って、アメリカ経由ロンドンに向うこととなりました。今回の同伴者は日本銀行秘書深井英五(「男子の本懐」を読む17参照〉及び同書記の横部の二人で、ほかにアメリカにおいて…

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-11~20

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-11 さて、英国銀行家の持ちだした条件について、高橋は早速本国政府に対し電報をもって打ち合わせをなし、発行限度の最高額300万ポンドというのを、政府の希望1000万pンドの半額500万ポンドに、期限の5カ年を7…

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ- 1~10

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ- 1 高橋は山本前総裁に対する政府の措置ならびに新総裁の態度如何によっては、ただちに職を辞する覚悟でありました。 ところが前述の如く山本前総裁のことは円満なる解決を見るようになりましたし、また松尾(臣善)新総裁(…