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松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造11~20

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造11  

 「憲政とは何ぞや」において『「憲法」という言葉を単に字義の上から解釈すれば、「国家統治の根本法則」ということになる。(中略)ただ近代の政治上の言葉として「憲法」という時は、なおこの外に他の要素をも加味して居るものでなければならぬのである。

 しからば問う、我々のいわゆる「憲法」とはいかなる要件を備うる国家の根本法則を指称するのか。予輩は次の二種類の要件を以ていわゆる憲法の特色なりと答うる。

 第一、いわゆる憲法は普通の法律に比して一段高い効力を付与せらるるを常とする。(中略)普通の立法手続では憲法の変更は許されないという事を意味するのである。

 第二には、憲法はその内容の主たるものとして(イ)人民権利の保障、(ロ)三権分立主義、(ハ)民選議院制度の三種の規定を含むものでなければならぬ。つまりこれらの手段によって我々の権利自由が保護せらるる政治を立憲政治というのである。』と記述されています。

吉野作造記念館 

 

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造12

 「憲政有終の美を済すとは何の謂(いい)ぞ」において「予はいわゆる憲法なるものの意義を説き、この憲法に遵拠して行うところの政治がいわゆる立憲政治であるという事を明らかにした。(中略)しかしながら単純なる憲法の発布、単純なる議会の開設は、それだけで以て直ちに人民の権利自由を完全に保障し、我らの生活を十二分に幸福になし得るものではない。(中略)

 憲法の制定・議会の開設そのものが我々の期待に背き、我々に失望を与えたということから来るところの我々の不満に、細かく見ると自ら二つの種類がある。第一は、いわゆる従来の憲法的制度というものは本来、我々の権利を保障し、我々に幸福を来たすものではない、これによって自由幸福を贏(か)ち得べしと考えたのがそもそもの誤りであるという説であって、(中略)予はこれを名づけて絶対的悲観説といおう。(中略)

 第二の不満は、現在の憲法的制度を以て必ずしも第一説の如くその本来の目的を達するに適せざるものと視るのではないが、ただその制度に欠点あり、またその運用の方法に適当ならざるところありしがために予期の如き成績を挙げないのであると観るの説である。前者の絶対的に対して予はこれを相対的悲観説と名づけたい。(中略)

 しかしてわがいわゆる憲政有終の美を済すの論は実にこの説に根拠して起るものである。 (中略)要するに我々は立憲治下の国民として、その有終の美を済すためになお一層努力しなければならぬ。しかしながらその努力は盲目的ではいけない。一定の主義方針に基づく奮闘努力たるを要する。しからばその一定の主義方針とは何であるかというに、これは言うまでもなく、もともと憲法の制定を見るに至らしめた根本の思想でなければならぬ。(中略)

 少しく近代の文明史に通ずるものは、諸国の憲法一として近代文明の必然的産物たらざるなきことを認めざるを得ない。(中略)しかして予はこの各国憲法に通有する精神的根柢を以て、民本主義なりと認むるものである。」と叙述されています。

宮城県―検索―東京事務所―首都圏みやぎ情報-首都圏みやぎゆかりの地―8 本郷三丁目―吉野作造ゆかりの本郷」

 

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造13  

 「憲政の精神的根柢=民本主義」において『洋語のデモクラシーという言葉は、今日実はいろいろの異なった意味に用いらるる。(中略)予輩の考うるところによれば、この言葉は今日の政治法律等の学問上においては、少なくとも二つの異なった意味に用いられて居るように思う。一つは「国家の主権は法理上人民に在り」という意味に、またモ一つは「国家の主権の活動の基本的目標は政治上人民に在るべし」という意味に用いらるる。この第二の意味に用いらるる時に、我々はこれを民本主義と訳するのである。(中略)故に予は等しくデモクラシーとという洋語で表わさるるものでも、その意義の異なるに従って、あるいは民主主義あるいは民本主義と、それぞれ場合を分かって適当な訳字を用うることにしたいと思うのである。』と述べられています。

 「民本主義と民主主義との区別」において「民主主義の二つの種類とはいかなるものをいうか。第一に民主主義は、凡そ国家という団体にあっては、その主権の本来当然の持主は人民一般ならざる可からずという形において唱えられることがある。(中略)  この立場からいえば、共和国が唯一の正当なる国家であって、君主国の如きは不合理なる虚偽の国家である。君主は人民より不当に権力を奪ったものであるという結論に達せざるを得ない。かかる意味で唱えられる民主主義はこそは、我が国などで容れることの出来ない危険思想である。(中略)何となれば、社会主義者の運動は多くの場合において、民主共和の危険思想をを伴うこと、従来諸国の例に明白であるからである。現に我が国でも幸徳一派の大逆罪は、社会主義者の間から輩出したではないか。

 第二に民主主義は、或る特定の国家においてその国の憲法の解釈上主権の所在は人民にありと論断するの形において唱えらるる事がある。もっとも大多数の場合においては、主権の所在という問題は憲法上初めから極めて明白なるを常とする。例えば我が国においては帝国憲法第一条に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、また第四条には「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とありて、憲法の解釈上毫も民主主義を容るべき余地がない。(後略)」と記述されています。
 

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造14  

 「民本主義に対する誤解」において「いわゆる民本主義とは、法律の理論上主権の何人に在りやということは措(お)いてこれを問わず、ただその主権を行用するに当って、主権者は須(すべか)らく一般民衆の利福並びに意嚮を重んずるを方針とすべしとする主義である。  

 (中略)しかるに世間には、民本主義君主制とをいかにも両立せざるものなるかの如く考えて居る人が少なくない。これは大いなる誤解といわなければならぬ。

 民本主義に対する誤解の大部分は、理論上の根拠なき感情論に出づる場合が多い。殊に従来特権を有して独り政権に参与し来った少数の階級は、その特別の地位を損われんことを恐れて、感情上盛んに民本主義に反抗するのであった。(中略)この点において予は、社会の上流に居る少数の賢明なる識者階級に向かって、彼等自身の立憲思想の真の理解とまた民衆に対する指導の職分の自覚とを希望せざるを得ない。(中略)

 第二に…民本主義は民主主義を伴い易いのである。して見れば民本主義と民主主義とは理論上明白に別個の観念であるとしても、実際の運動として現るる時は、二つのもの必ず一所になる因縁を有して居ると。この説は或る点までは真理である。

 多少の弊害の出現に逡巡しては進歩発達の事業は何一つ手が出せない。我々は徒に安逸を貪って従来の因襲に籠城すべきではない。発展は奮闘を要する。」と記述されています。

歴史が眠る多摩霊園ー著名人リストーあー赤松明子―赤松克麿

 

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造15

 「民本主義の内容(一)=政治の目的」において『民本主義は第一に政権運用の終局の目的は、「一般民衆のため」ということにあるべきを要求する。(中略)しかるにこの点は今日各国において十分に貫徹せられて居るというに、必ずしもそうではない。(中略)なおこれに関連して注意すべきは、近頃我が国などにおいて、右の歴史的特権階級の外に、新たにいろいろの特権階級が発生するの傾向があることである。中にも最も著しいのは金権階級である。俗用の語でいわゆる資本家なるものである。(中略)

しかるに日清戦争は初めて政権をして金権の前に助力を乞わざるを得ざらしめた。(中略)もしそれ日露戦争に至っては、桂公の政府は徹頭徹尾資本家の前に叩頭(こうとう 頭を地につけて拝礼する)してその財政的助力を求めたのである(1904.1.30日銀総裁、三井倶楽部に大都市の主要銀行家を招き、国債応募について懇談 新聞集成「明治編年史」第十二巻 財政経済学会)。ここにおいて金権は一躍して時に臨んで政権を左右し得るの大勢力となった。(中略)もしそれこの財政的特権階級が、歴史的特権階級と結託して、傲然民本主義に臨むことあらん乎、国家の不祥これより大なるはない。』と叙述されています。
 

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造16  

 「民本主義の内容(二)=政策の決定」において『第二に民本主義は政権運用の終局の決定を一般民衆の意嚮に置くべき事を要求する(中略)   しかるに民本主義のこの第二の要求に対しては、世上これを難ずるの議論が相当に強い。今これらの批難を細かく観察して見ると、大体三つの種類があるように思われる。

 第一の批難は、民本主義憲法上君主大権の義に反するとする説である。(中略)この批難にも細かく分かつと更に二つの細別がある。一つは…予のいわゆる民本主義を民主主義と混合し、(中略)以て我が国の如き君主国に在っては許すべからざる僻論なりと論ずるのである。この説の謬(あやまり)なる事は巳に述べた。(中略)

 もう一つの批難は、たとえ政治上の主義にもせよ、君主はその権力を行使するに当って常に必ず人民一般の意嚮を参照せねばならぬと慣行が極っては、それだけ君主の大権が制限せられ、、従って君主大権の自由行動を妨ぐる結果となるという説である。しかしこの種の論者は、君主の大権なるものは、立憲国においては初めから各種の制限を受けて居るものであるという事を心付かざる人々である。(中略)

 予の観るところによれば、大臣の任命につき議会の多数党に人を採るのも、元老への御下問によって極めるのも、共に君主の大権に対する事実上の制限たる事は同一であると思う。(中略)しからばここに君主は果してそのいずれの制限を採るべきものであるかの問題が起こる。(中略)明治天皇陛下は維新の初め現に広く会議を起し万機公論に決すべしと勅せられて居る(1868五箇条の御誓文 維新史料綱要)。即ち多数の人に相談して公平にして且つ正当な政治を行うという民本主義の精神は、明治初年以来我が国の国是(こくぜ 確定している一国の方針)であった。(中略)

真実一路の旅なればー五箇条の御誓文

 

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造17

 第二の批難は、凡そ人民一般は本来愚なものであって自ら自家の利福の何たるかを知らぬ、これを熟知する者はむしろ少数の賢者である。従って多数政治は実際の利害得失を比較すると少数政治に比して却って劣れりというのである。(中略)

 しかしながら我々は、最もよく人民一般の利福の何たるかを知りまたいかに奉公の念に富む人でも、彼らの最も多く考うるものは概して自家の利益であるという普通の事実を看過してはならぬ。いわんや賢明なる人といえども、少数相比周(ひしゅう ぐるになって助けあう)して万人環視の外に政権の運用を司ることとなっては、動もすればその間に弊害を生ずることは免れない。(中略)

 民本主義の行わるる事は、それ程高い智見を民衆に求むるという必要はない。その理由は後にも説くが如く、今日の政治はいわゆる代議政治という形において行われて居るのであるが、その結果今日では我こそ人民の利福意嚮を代表して直接国事に参与せんと欲する輩は、自然進んで自家の政見を人民に訴え、以てその賛同を求むるという事になる。そこで人民はこの際冷静に敵味方の各種の意見を聴き、即ち受動的にいずれの政見が真理に合しているやを判断し得ればよい。(中略)この点において今日の開明諸国の人民は、概して民本主義の政治を行うに妨げなき程度には発達して居るものと断言して差支ない。(中略)

 第三にこういう批難をする人もある。(中略)一般に人民の意嚮、即ちいわゆる「民意」 なるものは本来実在するものではない。(中略)故に民意を取って政策決定の標準となすというが如きは畢竟空論であると。(中略)しかれども社会万般の事象を洞察達観するものにとっては、この見えざる意思の主体を認識することは決して困難ではない。(中略)ただ民本主義の主張は、一部の論者の難ずるが如く、実在せざる「民意」という仮定を前提とした荒唐無稽な説でないという事を承知して貰えばそれでよいのである。(後略)』と記述されています。
 

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造18  

 「代議政治」において「代議政治の運用意の如くならざる他の国においては、この種の議論は英国程は盛んに唱えられていない。しからばこれらの国においてはいかなる議論が唱えられているかと言うに、曰く、民本主義の理想から言えば人民の直接政治が一番よい。しかしこれが不可能なるが故に、止むを得ず代議政治に拠った。しかして代議政治は民本主義の要求を如実に現わしたものでないから、それ自身固有の欠点を有するものである。ただこれを措いて外に我々はヨリよき制度を知らないから、止むを得ずこれを採用しているのである。されば我々はこれに由っては完全に民本主義の要求を満足する事が出来ないことは初めよりこれを認めざるを得ない。代議政治に伴って種々の弊害に苦しむのは、この点より見て実は怪しむに足りないのであると。(中略)しかしてこの説は従来、いかにかしてその弊害を減少せんとの希望からして、いろいろ矯正策の研究を促した。(中略)

 遂に代議政治は民本主義の要求に応うるの外貌の許に、実は民本主義に敵するものなりとなし、真に民本主義に忠ならんと欲する者は須らく代議政治を真向に否認せざるべからずと論ずるに至ったのである。この議論の明白なる代表者は、近時仏国に起って伊太利、英吉利亜米利加等に段々蔓延して居るサンジカリズムの議論である。(中略)

独学ノートー検索―サンジカリズム

 右は極端な例であるが、(中略)代議政治の欠点を認めてこれに重大な補正を加えんとするものに、かの人民投票の説がある。(中略)もっとも一概に人民投票というても細かく見るとこれに二つの種類がある。第一は洋語イニシアチーヴというもので、人民の方から進んで或る種の立法を議会に建議するのである。(中略)これに反して第二は議会で決定した事を更に人民に諮るもので、洋語レフェレンダムと称するものである。(中略)何故に人民投票制は実際上あまり採用されていないか。そは思うに、理論は別として実際は極めてこれを行うに不便であるからであろう。(中略)

 かくて我々は、代議政治において最も着眼を要する二つの方向があるということを認めざるを得ない。一つは人民と代議士との関係である。他は代議士と政府との関係である。この両種の関係が民本主義の本旨に従って最も適当に組み立てられ居る時に代議政治の運用がその宜しきを得るのである。」と述べられています。

 

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造19

 「人民と議会との関係」において「我々は政界の廓清を計りて憲政の順当なる進歩を見んとせば、まず以て議員と人民との関係を正すことに綿密なる注意を加うるを必要とする。しかしてこれがために採るべき方法は、差当り少なくとも三つあると思う。

 第一選挙道徳を鼓吹する事 一つは我々の投ずる一票が(中略)僅かの金銭や脅迫等のために左右せらるるには余りに神聖なものであるという事である。二つには投票は国家のためにするものであって、地方の利益のためにするのではないという事である。三つには選挙は我々の特権であって候補者から頼まれてするものではない。

 第二に予は選挙法中、取締規則を厳重にし且つこれを励行することが必要であると主張する(中略) 

 次に予は第三に選挙権は出来るだけこれを拡張することが必要であると主張する 選挙権が限られて居れば、腐敗手段が無遠慮に行われる。選挙権が極端まで拡がって来ると、到底買収などはし切れなくなる。(中略)

 もっとも選挙権の拡張は以上の立場からばかりでなく、選挙の本質に関する理想上の要求としても唱えられて居る。(中略)

 もっとも(中略)必ずしも無制限にこれを許せという意味ではない。(中略)例えば幼者、狂者、犯罪人、貧民救助を受くるもの、破産の宣告受けたるもの等は、初めからこれを除外せねばなるまい。それ以外において婦人を除くべきや否やはけだし将来の問題である。(中略)さもあらばあれかく理論上の要求としては出来るだけ選挙権を広く与うべしというに拘わらず、実際上種々の制限を設けて居るもの近世国中甚だ尠くはない。 その理由にはいろいろあるが、その主なるものを挙げるとつぎの二つがあると思う。

 第一は(中略)即ち選挙という公権をを実行する程智見の熟せざるもの尠くないというところから、制限制度を是認せんとするものである。(中略)故に多少の制限を選挙権の範囲の上に加うるの必要がありとしても、財産の有無をを以てその標準とするの不当なるは今日は已に余りに明白である。(中略)

 第二は何人が適任者なるかは多数の能く決し得るところではなくして、少数者のみよくこれを知っている。故に選挙権を制限するは即ちこの目的に協う所以であると。(中略)

 世界の文明国はほとんどみな大体普通選挙制を採用してしまったと見てよい。故に今日東西の文明国中、比較的重き制限を付するものとしては、僅かに露西亜と我が日本とを数うべきである。(中略)我が国の多数の識者の間には実に不思議な程普通選挙制度に対する誤解と反感とが激しい。 もっともこの制度は初めは主として社会主義者の一派によって唱えられたのであった。これがたまたま誤解を招く所以となったのであろう。(中略)しかれどもこの点の誤解を解いて、我々が衷心から普通選挙制の採用にあらずんば憲政の円満なる進行を見る能わざる所以を納得し、またこれを深く国民一般に徹底せしめるのでなければ、我が国憲政の前途は実に暗澹たるものである。」と記述されています。

浦辺研究所―歴史研究所―ロシア史―第8回 ロシア帝国の滅亡

 

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造20

 「議会と政府との関係」において「議員の政府に対する道徳的独立を全うしたる上で、更に政府の非違をを厭(あ)くまで糺し、十分に議員をしてその監督の任に当たらしむるためには、政府をして議会に対し政治上の責に任ぜしむることが必要である。ここにおいて政治上いわゆる責任内閣の問題が起る。(中略)

 責任内閣なる制度に対してまた超然内閣という主義がある。これは議会の意思に超脱して内閣は全然絶対的独立の地位を取るべしという趣意である。故に超然内閣は断じて立憲政治の常則ではない。(中略)

 かくの如く責任内閣の制度は憲政運用上欠くべからざるものであるが、ただ然らばいかにして議会は内閣の責任を問うやというに、その方法は一にして足らない。(中略)しかして今日責任糾弾のために用いらるる普通の方法は議院内閣の制度である。従って最近においては、大抵の国において、議会に多数を占むる政党の領袖が政府を組織するという例になって居る。この意味において今日の政府は政党内閣である。(中略)こういう制度が一般に行わるれば、政府の責任は即ち彼が議会に依然として多数的信任を維持し得るや否やによって糺弾さるる。(中略)

 故に今日政党内閣の制度は、責任内閣の主義を最もよく貫くものであるとはいえ、小党分立の国においては実は十分にその妙を発揮することを得ないのである。(中略)

WELCOME TO YOKOYAMAS HOMEPAGE―世界史ノート現代編―第15章―1 帝国主義の成立と列強の国情―フランス

 我が国の状況は如何というに、(中略)今日では、十分政党内閣の主義が貫かれないまでも、しかも議会の多数的勢力と何らかの形において結託せずしては、何人といえども内閣に立つ事が出来ないという形勢に立ち至って居る。我々はますますこの形勢を助長し発達せしめて、政党政治の更に完全なる実行を見んことを期すべきである。」と述べられています。