司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む11~20

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む11 1901(明治34)年3月12日加藤高明外相は伊藤博文首相にロシアの満州占領に対処する方針について閣議での討議を要請する意見書(「日本外交文書」第34巻)を提出しました。その方針とは① ロシアの満州侵略に抗…

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む1~10

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む1 司馬遼太郎「坂の上の雲」(「司馬遼太郎全集」24~26 文芸春秋)は伊予松山出身の秋山好古・真之兄弟・正岡子規の生涯を中心に、日清戦争・日露戦争時の日本の栄光と発展を明るく描写した作品です。 司馬遼太郎氏はこ…

松本清張「火の虚舟」を読む11~20

松本清張「火の虚舟」を読む11 篤介の担当は国憲案の調査検討で、彼は汚れた単物(ひとえもの 裏のない一重の夏衣服)の上に小倉袴を着け、いり豆を袂にいれて官署(役所)に出かけ、暇させあれば豆を出してポツリポツリと喰っていたので、ついに豆食い書…

松本清張「火の虚舟」を読む1~10

松本清張「火の虚舟」を読む1 松本清張「火の虚舟」(文芸春秋)は明治の自由民権運動の中心的理論家で「東洋のルソー」と呼ばれた中江兆民の生涯を講演形式で叙述した作品です。 中江兆民は多くの著作や翻訳があるにもかかわらず、自伝もなければ日記もつ…

児島襄「大山巌」を読む41~50

児島襄「大山巌」を読む41 朝鮮では1895(明治28)年初頭、政府の重要部署に日本人顧問を登用するなど、清国の影響を排除する改革が進行するかに見えたのです。しかし日本が三国干渉に屈服すると、朝鮮の政治情勢は急速にロシヤの影響力に頼る傾向を…

児島襄「大山巌」を読む31~40

児島襄「大山巌」を読む31 1892(明治25)年8月8日第2次伊藤博文内閣が成立、外務大臣は陸奥宗光、大山巌は陸軍大臣に復帰しました(「官報」)。 同年11月30日フランスから廻航していた砲艦千島が瀬戸内海で英国船ラヴェンナ号(ピーオー社…

児島襄「大山巌」を読む21~30

児島襄「大山巌」を読む21 1882(明治15)年8月5日大山巌が帰京したとき、夫人沢子は病床に伏し、容体は重篤となっていました。大山はドイツ人医師で1876(明治9)年東京医学校(東大医学部の前身)教授として招聘されたエルヴィン・ベルツの…

児島襄「大山巌」を読む11~20

児島襄「大山巌」を読む11 1870(明治3)年8月15日大山弥助らは普仏戦争観戦を命ぜられ、8月28日横浜から米飛脚船クレド・ハフリック号で出発、太平洋を横断、サンフランシスコからニューヨーク経由で大西洋を渡り、10月23日ロンドン到着、…

児島襄「大山巌」を読む1~10

児島襄「大山巌」を読む1 児島襄「大山巌」(文春文庫)はのちの元帥陸軍大将大山巌誕生の叙述から始まります。大山巌(岩次郎)は1842(天保13)年10月10日鹿児島城下加治屋町の下級武士大山彦八綱昌(西郷竜右衛門次男)の次男として出生しまし…

城山三郎「雄気堂々」を読む11~20

城山三郎「雄気堂々」を読む11 1868(慶応4・明治1)年4月24日関東監察使三条実美は江戸城に入り、大総督以下と協議し、田安亀之助を徳川家相続者とし(「維新史料綱要」巻8)、駿府(静岡)において70万石を賜ることに決定、同月29日亀之助…

城山三郎「雄気堂々」を読む1~10

城山三郎「雄気堂々」を読む1 城山三郎「雄気堂々」(新潮文庫)は最初「寒灯」の題で「毎日新聞」1971(昭和46)年1月1日から同年12月23日まで連載され、単行本として出版されたとき、上記のように改題されたもので、明治財界の草分けであった…

久米邦武「米欧回覧実記」を読む21~30

久米邦武「米欧回覧実記」を読む21 アレクサンドル2世が1861年に発した農奴解放令を、我が国の1872(明治5)年田畑永代売買の禁令撤廃と比較して、「実記」は次のように記述しています。『○露国隷農解放ノ令ヲ発シテヨリ、二年ヲ経テ、六十三年…

久米邦武「米欧回覧実記」を読む11~20

久米邦武「米欧回覧実記」を読む11 「実記」には1872(明治5)年10月10日の記事がありませんが「木戸孝允日記」(明治五年十月十日条)に「六字過伊藤来て南貞介(助)の寄留せるアメリカンジョイントナショナルバンク之困難を告げ為其南貞介并同…

久米邦武「米欧回覧実記」を読む1~10

久米邦武「米欧回覧実記」を読む1 久米邦武編「特命全権大使 米欧回覧実記」(岩波文庫 以後「実記」と略)は最初の「例言」において、本書の特徴を次のように述べています。 一 此書ハ、遣欧米特命全権大使(天皇代理として国事を取り計らう権限をもつ官吏…

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読む11~20

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読む11 坂本龍馬がお龍を知ったのは1864(元治1)年夏、池田屋事件の前ころと推定されます。お龍は青蓮院宮家侍医楢崎将作三姉妹の長女で、将作の死後禁門の変が起こり京都は焼亡、一家は離散、美貌の妹たちは悪人の手にか…

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読む1~10

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読む1 司馬遼太郎「龍馬がゆく」(司馬遼太郎全集第3巻 文芸春秋)は1962(昭和37)年6月21日から1966(昭和41)年5月19日にかけて「産経新聞」の夕刊に連載された長編小説です。 近世の土佐藩は関ヶ原の戦い…

司馬遼太郎「世に棲む日日」を読む11~20

司馬遼太郎「世に棲む日日」を読む11 高杉晋作は1839(天保10)年8月20日長門国萩で出生しました。晋作は通称で、本名は春風、字は暢夫(のぶお)といいます。高杉家は毛利家に仕える家柄で晋作の父は高杉小忠太春樹といい、長州藩12代藩主斉広…

司馬遼太郎「世に棲む日日」を読む1~10

司馬遼太郎「世に棲む日日」を読む1 司馬遼太郎「世に棲む日日」(「文芸春秋」)は幕末の長州藩を吉田松陰・高杉晋作の生涯を通じて描写した小説で、1969(昭和44)年2月から1970(昭和45)年12月まで「週刊朝日」に連載され、1972(昭…

宮尾登美子「天璋院篤姫」を読む11~20

宮尾登美子「天璋院篤姫」を読む11 1861(文久1)年4月19日和宮は内親王宣下(天璋院より高位)を受けて親子(ちかこ)という名を賜り、同年10月20日京都今出川の桂宮を出発(「孝明天皇紀」第三)、中山道を経て11月15日江戸清水屋敷に到…

宮尾登美子「天璋院篤姫」を読む1~10

宮尾登美子「天璋院篤姫」を読む1 宮尾登美子「天璋院篤姫」は1983(昭和58)年2月25日から1984(昭和59)年5月1日まで日本経済新聞夕刊に連載され、1984年講談社より出版、2007(平成19)年加筆された新装版が同社より刊行され…

ペルリー提督「日本遠征記」を読む11~20

ペルリ提督「日本遠征記」を読む11 ペルリ提督は琉球にいる多数の日本代官とその密偵とが、琉球において発生したあらゆる出来事に注意し、帝国(日本)政府に報告しようと常に監視しているのをだしぬくために、艦隊中の帆船の幾艘かを江戸湾に出発させ、そ…

ペルリ提督「日本遠征記」を読む1~10

ペルリ提督「日本遠征記」を読む1 「日本遠征記」土屋喬雄・玉城 肇訳(岩波文庫)には「合衆国政府の命令により、合衆国海軍エム・シー・ペルリ提督の指揮の下に、1852年、1853年、及び1854年に行われたる支那(清国)諸海及び日本へのアメリ…

明治憲法下の天皇制と日本資本主義

―戦後における日本見直し論批判の試みー (東豊中高校社会科論壇 第二号 1985年5月20日発行に掲載) はじめに 1 江戸時代の寄生地主制 3 明治維新の本質と天皇制 2 明治時代の寄生地主制 4 自由民権運動と日清・日露戦争の評価 おわりに はじめに…