城山三郎「男子の本懐」を読む1~10

城山三郎「男子の本懐」を読む 1 城山三郎「男子の本懐」(「城山三郎全集」1 新潮社)は「週刊朝日」[1979(昭和54)年3月23日号~同年11月20日号]に連載されたノンフィクション小説で、第27代首相浜口雄幸と彼の盟友井上準之助蔵相の生涯…

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む41~50

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む41 ここへ来てから半月ばかり後、11月号の「青鞜」と野枝さんからの厚い手紙が届きました。その手紙の内容は、大体つぎのようなものでした。 「自分がつくった雑誌があまりに不出来なので、自分にあ…

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む31~40

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む31 ジャーナリズムの非難、攻撃、揶揄(やゆ)と同調して、彼等の描く青鞜社なるものを目の敵にして騒いだのは当時の女子教育家たちでした。下田歌子を筆頭に津田梅子というような人びとが、おそらく「…

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む21~30

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む21 1911(明治44)年、かぞえ年26歳を迎えた彼女は、相変わらず坐禅と図書館通い、それに英語の勉強に明け暮れて、人ともあまり交わらず、といってこれという仕事もない毎日を送っておりました…

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む11~20

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む11 女学校四、五年の一時期に、彼女が富士登山を思いたった気持の背景には、その当時、女性の富士登山者がぼつぼつ現れて、それを新聞などが賞賛的に書き立てていたことなどもいくらか影響したのでしょ…

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む1~10

平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む 1 平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」(大月書店)下巻に収録された、小林登美枝「らいてう先生と私」(1971年8月15日付)は本書の成立事情について、次のように述べています。 「(前略)…

江宮隆之「政治的良心に従います」-石橋湛山の生涯―を読む(A)11~20

江宮隆之「政治的良心に従います」-石橋湛山の生涯―を読む(A)11 1915(大正4)年1月加藤高明外相の訓令にもとづき、日置益駐華公使は中華民国大総統袁世凱に5号21ヵ条要求を提出、秘密交渉とするよう求めました。5月4日閣議は21ヵ条要求か…

江宮隆之「政治的良心に従います」-石橋湛山の生涯―を読む(A)1~10

江宮隆之「政治的良心に従います」-石橋湛山の生涯―を読む(A) 1 江宮隆之「政治的良心に従います」-石橋湛山の生涯―(河出書房新社)は1999(平成11)年に出版された石橋湛山の伝記小説です。わたしは石橋湛山の生涯を(A)生誕から大正末年まで、…

鈴木文治「労働運動二十年」を読む21~30

鈴木文治「労働運動二十年」を読む21 1920(大正9)年5月2日(日曜日)日本最初のメーデーが上野公園で開催され、参加者1万人余、鈴木文治は開会の辞で『諸君、この記念すべき日に於て、我等日本の労働者も、世界各国の労働者も共に叫びませう、曰…

鈴木文治「労働運動二十年」を読む11~20

鈴木文治「労働運動二十年」を読む11 米国における日本人移民によって労働市場が圧迫されるとする排日の気運は日露戦争後の1905(明治38)年後半から顕著となり、1913(大正2)年5月2日カリフォルニア州での「外国人土地所有禁止及び借地制限…

鈴木文治「労働運動二十年」を読む 1~10

鈴木文治「労働運動二十年」を読む 1 鈴木文治の自伝「労働運動二十年」(一元社 昭和六年発行)は彼の生い立ちを次のように述べています。 「宮城県栗原郡金成(かんなり)村―古く旧記を按ずれば、その昔源義経が兄頼朝の笞を逃れて、北の国へと落ち延びた…

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造21~30

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造21 以上のような内容をもつ吉野作造の論文に対する反響は大きく、各方面から批判が飛んで、民本主義論争が展開されました。「中央公論」3月号には上杉慎吉が「我が憲政の根本義」と題する論文におい…

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造11~20

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造11 「憲政とは何ぞや」において『「憲法」という言葉を単に字義の上から解釈すれば、「国家統治の根本法則」ということになる。(中略)ただ近代の政治上の言葉として「憲法」という時は、なおこの外…

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造 1~10

松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」を読むⅠ-吉野作造 1 松尾尊兊「大正デモクラシーの群像」(同時代ライブラリー35 岩波書店)は次の項目で構成されています。 大正デモクラシ-とは何か 美濃部達吉 明治末期のルソー 吉野作造 その朝鮮・中国論 夏目…

寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」を読む21~30

寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」を読む21 原敬は政党党首としてはじめて首相に任命された人物で、爵位をもたず藩閥でもない衆議院議員であり、「平民宰相」と呼ばれました。また外相内田康哉・陸相田中義一、海相加藤友三郎のほかの閣僚はすべて政友会出身…

寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」を読む11~20

寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」を読む11 鉄道国有は満州進出を強化するための軍事輸送確保をめざす軍部が常に強く主張するところで、桂太郎内閣は総辞職以前の最後の閣議でこれを決定、後継の西園寺公望内閣にこの案踏襲を一条件として提案したところです…

寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」を読む1~10

寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」を読む1 寺林 峻「凛冽の宰相 加藤高明」(講談社)は第24代首相加藤高明の生涯を述べた伝記小説として1994(平成6)年出版された作品です。 この小説第一章は加藤高明の生まれ故郷の描写から始まります。彼は186…

佐木隆三「伊藤博文と安重根」を読む11~20

佐木隆三「伊藤博文と安重根」を読む11 李麟栄は1896(明治29)年の初期義兵で柳麟錫の下に参加、解散後農業に従事していましたが、原州で決起した李殷瓚・李九載らの勧誘で倡義(義を唱える)大将として1907(明治40)年8月関東(大関嶺より…

佐木隆三「伊藤博文と安重根」を読む1~10

佐木隆三「伊藤博文と安重根」を読む1 佐木隆三「伊藤博文と安重根」(文芸春秋)は明治時代の元勲の一人で、初代の韓国統監を勤めた伊藤博文が1909(明治42)年ハルビンで韓国義兵安重根に暗殺された事件を中心に描いた小説で、1992(平成4)年…

片山 潜「日本の労働運動」を読む41~50

片山 潜「日本の労働運動」を読む41 このように日本社会党で直接行動派と議会政策派が大論争をくりひろげていたころ、1907(明治40)年2月4日以降足尾銅山(「田中正造の生涯」を読む15参照)で大暴動が起こったのです(「日本労働運動史料」2 …

片山 潜「日本の労働運動」を読む31~40

片山 潜「日本の労働運動」を読む31 1901(明治34)年7月2日の「万朝報」(「同左」36日本図書センター)紙上に社長黒岩周六の「平和なる檄文、理想的団結を作らん」と題する理想団の趣旨説明があり、同年7月20日開団式が挙行されました。発起…

片山 潜「日本の労働運動」を読む21~30

片山 潜「日本の労働運動」を読む21 かくして明治時代の組織的な労働運動は僅かな例外を残して壊滅状態に陥ったのです。僅かな例外としては「活版工組合誠友会」と「大日本労働至誠会」が挙げられます。 活版工組合誠友会は活版工組合規約運用停止とともに…

片山 潜「日本の労働運動」を読む11~20

片山 潜「日本の労働運動」を読む11 1886(明治16)年夏ころ、岡塾・攻玉社の友人の一人岩崎清吉が来年徴兵検査の年で心配しているのを見て片山潜は彼に渡米を勧めたのでした。 ところが岩崎清吉に渡米を勧めた片山潜は岩崎の郷里の森鴎村漢学塾幹事…

片山 潜「日本の労働運動」を読む1~10

片山 潜「日本の労働運動」を読む1 片山 潜「日本の労働運動」(岩波文庫 以下「本書」と略)には① 片山 潜・西川光次郎合著「日本の労働運動」(序文に明治三十四<1901>年五月の日付がある)、② 片山 潜「日本における労働運動」(英語版)-社会主義の…

木下尚江「田中正造の生涯」を読む21~30

木下尚江「田中正造の生涯」を読む21 正造は川俣事件被告51名のために大弁護団を組織、1900(明治33)年10月10日前橋地方裁判所で川俣事件第1回公判が開催されると、同公判を傍聴、12月なかごろまで前橋に滞在(「全集」⑮№九四八-九七二)…

木下尚江「田中正造の生涯」を読む11~20

木下尚江「田中正造の生涯」を読む11 栃木県においても国会開設運動を中心とする自由民権運動は盛り上がりをみせていました。1880(明治13)年3月10日嚶鳴社の沼間守一(ぬまもりかず)・青木匡・西村玄道3名は足利町の友人にまねかれて演説会に…

木下尚江「田中正造の生涯」を読む1~10

木下尚江「田中正造の生涯」を読む1 田中正造は幕府老中水野忠邦が天保の改革を開始した1841(天保12)年11月3日下野国安蘇(あそ)郡小中(こなか)村(栃木県佐野市小中町)で、父富蔵(25歳)、母サキ(22歳)の長男として生まれ、幼名は兼…

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む41~50

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む41 午後2時8分バルチック艦隊旗艦スワロフの司令塔にいたロジェストウェンスキーは射撃を命令、スワロフの主砲が三笠に向けて砲撃しましたが、砲弾は三笠を飛び越えて水煙をあげ、バルチック艦隊主力艦は主砲・副砲を発射…

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む31~40

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む31 その後何度か石炭を積み込みながら、アフリカ西岸を南下し、喜望峰及びアグラス岬の灯台を回って艦隊はインド洋に入り、1905(明治38)年1月9日マダガスカル島のノシベに入港しました。ノシベ港にはすでにフェリ…

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む21~30

司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む21 これに対して同年3月27日社説「嗚呼増税」を掲げた同新聞は発禁処分を受けましたが、平民新聞は引き続き発行され、同年7月24日(第三十七号)には「与露国社会党書」への「イスクラ(火花)」(ロシア社会民主労働…