幸田真音「天佑なり」を読むⅤ-11~15

幸田真音「天佑なり」を読むⅤ-11 パリー出発前、英国の銀行団へはあらかじめパリーにおける談判の経過を報告し、同時に高橋は1905(明治38)年11月18日夜ロンドンに帰るから、即夜ホテルにて会見したき旨を申し送っておいたので、同夜英国の発…

幸田真音「天佑なり」を読むⅴ-1~10

幸田真音「天佑なり」を読むⅴ-1 これより先第一回4分半利付き公債の募集が結了した直後、パンミュール・ゴールドン商会のコッホ氏を通じ、巴里株式取引所仲買委員 長ヴェルヌイユ氏から、フランス大蔵大臣ルビエ氏の命によって、ごく内密で面会したしとの…

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-31~40

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-31 アメリカ資本団の意向は先述の通りであるので、高橋は至急ロンドンに引き返すことに決心し、6月18日正金支店長の山川勇木宛てに「6月24日(明治38年)汽船エトルリア号にてニューヨークを出発し、7月3日ロンド…

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-21~30

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-21 1905(明治38)年2月17日横浜を発って、アメリカ経由ロンドンに向うこととなりました。今回の同伴者は日本銀行秘書深井英五(「男子の本懐」を読む17参照〉及び同書記の横部の二人で、ほかにアメリカにおいて…

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-11~20

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ-11 さて、英国銀行家の持ちだした条件について、高橋は早速本国政府に対し電報をもって打ち合わせをなし、発行限度の最高額300万ポンドというのを、政府の希望1000万pンドの半額500万ポンドに、期限の5カ年を7…

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ- 1~10

幸田真音「天佑なり」を読むⅣ- 1 高橋は山本前総裁に対する政府の措置ならびに新総裁の態度如何によっては、ただちに職を辞する覚悟でありました。 ところが前述の如く山本前総裁のことは円満なる解決を見るようになりましたし、また松尾(臣善)新総裁(…

幸田真音「天佑なり」を読むⅢ-31~40

幸田真音「天佑なり」を読むⅢ-31 8月17日からは、支店の検査に取りかかりました。米国では州によって銀行法が異なり、ニューヨークでは支店の設置ができぬので、長崎個人が正金の代理店(Agency)として営業している形になっています。しかるに桑港で…

幸田真音「天佑なり」を読むⅢ-21~30

幸田真音「天佑なり」を読むⅢ-21 1897(明治29)年正金銀行の顧客である一仏国商人が倒産しました。正金銀行はこの商人から生糸の輸入為替を買い取っていましたので、この人の破産で僅少ながら数万円の損失を受けることとなりました。ところがこの…

幸田真音「天佑なり」を読むⅢ-11~20

幸田真音「天佑なり」を読むⅢ-11 高橋が行くと総裁は床の上に坐って、大本営で天皇に拝謁を賜ったことを感激に満ちた言葉で話し、かつ伊藤総理から日本政府は今回朝鮮の内政を改革し、独立を扶助するの費用として、同国政府に対し、300万円を用立てる…

幸田真音「天佑なり」を読むⅢ-1~10

幸田真音「天佑なり」を読むⅢ- 1 ペルーに失敗し、福島の農場、天沼の鉱山等四方の計画ことごとく成らず一敗地に塗(まみ)れた高橋を、事情を知っていた西郷従道、品川弥二郎、松方正義らの諸先輩並びに友人前田正名らは誠に気の毒であるとし、1892(…

幸田真音「天佑なり」を読むⅡ-21~30

幸田真音「天佑なり」を読むⅡ-21 藤村らは田島の報告を得て驚き、藤村が前田の所にやって来て、「我々は最初、この仕事が成功するまでは一切他人に秘しておくつもりだったが、すでに日本側出資額を50万円と契約した以上、我々だけの力だけでは及ばなく…

幸田真音「天佑なり」を読むⅡ-11~20

幸田真音「天佑なり」を読むⅡ-11 それで公使館で相談の結果、原書記官が同行してくれることになりましたが、原は「君の専門的な用件には通弁できない。それで君の便宜のために英語の解る人に出て貰うよう交渉してみよう」と云い、特許局では英語の解る人…

幸田真音「天佑なり」を読むⅡ-1~10

幸田真音「天佑なり」を読むⅡ-1 1881(明治14)年の春になって、友人からいつまでも学校で教員をするだけでなく、文部省へ入って教育の事務をとってはどうかと勧められ、高橋も同感で、その話をすすめてもらいました。 ところが当時文部省の小丞か何…

幸田真音「天佑なり」を読むⅠ-21~30

幸田真音「天佑なり」を読むⅠ-21 このようんな経緯(いきさつ)で、やがて同藩の家老友常典膳と会見して正式に決定、そこで高橋はいくらかの月給を前借りして、その一部で洋服を誂え、他の一部で借財の始末をしました。もっとも本多らのために借りた25…

幸田真音「天佑なり」を読むⅠ-11~20

幸田真音「天佑なり」を読むⅠ-11 やがてブラウン老人夫妻は「自分たちは清国へ行くことになった。自分の親戚で桑港の税関に勤務している親切な人がいる。お前はそこへ行ったらよかろう。そうしたら昼間は主人について税関の仕事の手伝いをしながら事務を…

幸田真音「天佑なり」を読むⅠ-1~10

幸田真音「天佑なり」を読むⅠ-1 幸田真音(こうだまいん)「天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債」は2011(平成23)年11月7日から東京新聞その他に連載を開始、2013(平成25)年角川書店から刊行され、第33回新田次郎賞を受賞した作品で…

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」 1. はてなブログを始めたきっかけは何ですか? 高校程度の日本史学習から、さらに専門的な学習への橋渡しになるような史料ならびにインターネット上の映像などを紹介するこ…

美濃部亮吉「苦悶するデモクラシー」を読む11~20

美濃部亮吉「苦悶するデモクラシー」を読む11 第二点に我が憲法上、天皇の統治の大権は万能無制限の権力であるや否や、此点に付きましても我が国体を論じまする者は、動もすれば絶対無制限なる万能の権力が 天皇に属していることが我が国体の存する所であ…

美濃部亮吉「苦悶するデモクラシー」を読む 1~10

東京都知事とは編集 日本の東京都の首長(知事)。 略称:都知事 続きを読む このキーワードを含むブログ (今週 43 件) を見る

美濃部亮吉「苦悶するデモクラシー」を読む 1~10

美濃部亮吉「苦悶するデモクラシー」を読む 1 [美濃部亮吉(美濃部達吉の長男、東京教育大教授を経て東京都知事などを歴任)「苦悶するデモクラシー」文芸春秋]は1958(昭和33)年6月号から1959(昭和34)年1月号まで「文芸春秋」に連載した…

小林多喜二「蟹工船」を読む21~30

小林多喜二「蟹工船」を読む21 二時でもう夜が明けていた。絆天の袖にカガシのように手を通しながら、漁夫が段々を上がって来て、ハッチから首を出したまま、はじかれたように叫んだ。 「あ、兎が飛んでる。-これァ大暴風(しけ)になるな。」三角波が立…

小林多喜二「蟹工船」を読む11~20

小林多喜二「蟹工船」を読む11 1927(昭和2)年3月3日小作人代表伴利八・阿部亀之助ら15名は約200名の労組員の出迎えを受けて小樽駅に到着、吹雪の中を赤だすきをかけた小作人代表を先頭にして、磯野店や商業会議所へデモ行進しました。争議団…

小林多喜二「蟹工船」を読む 1~10

小林多喜二「蟹工船」を読む 1 小林多喜二「蟹工船」(「新日本文庫」・小林多喜二全集 第2巻 新日本出版社 以下全集と略)は「戦旗」(「全日本無産者芸術連盟」ナップ機関誌)1929(昭和4年)の5、6月号に掲載された小説で、「左翼的批評家だけで…

犬養道子「花々と星々と」を読む31~40

犬養道子「花々と星々と」を読む31 それが、椿の咲きつくして、桃や桜の咲く季節になると、再び開けられました。「なにィ、クモォ? 平気じゃい、平気じゃい。ヒヒヒ」脳のてっぺんから湧き出るような、甲高い声の人が谷間の部屋にやって来たからです。 古…

犬養道子「花々と星々と」を読む21~30

犬養道子「花々と星々と」を読む21 古い本の少なくない書棚の中に、ひときわめだって古ぼけた一冊があります。著者は大町桂月、書名は「伯爵後藤象二郎伝」(伝記叢書 大空社)。 一葉の写真にぶつかると、道子はそのまま長い間、動きませんでした。うら若…

犬養道子「花々と星々と」を読む11~20

犬養道子「花々と星々と」を読む11 1910(明治43)年5月25日大逆事件(「日本の労働運動」を読む47~48参照)の宮下太吉検挙が開始され、やがて幸徳秋水(「日本の労働運動」を読む27参照)も逮捕されました。秋水が法廷で「いまの天子は、…

犬養道子「花々と星々と」を読む1~10

犬養道子「花々と星々と」を読む 1 犬養道子「花々と星々と」上下(大活字本シリーズ 埼玉福祉会)は著者の自伝的随筆で、中央公論社から1969(昭和44年)出版、1973(昭和48)年増補版が出されました。著者は1932(昭和7)年の五・一五事…

城山三郎「男子の本懐」を読む31~40

城山三郎「男子の本懐」を読む31 1930(昭和5)年11月下旬、井上は恒例の製造貨幣試験に立会い、あわせて銀行大会などに出席するため、関西へ赴きました。 財務省―トップページー検索―製造貨幣大試験について 政府の政策として、労働者の権利伸長の…

城山三郎「男子の本懐」を読む21~30

城山三郎「男子の本懐」を読む21 1927(昭和2)年4月20日田中義一(「凛冽の宰相 加藤高明」を読む30参照)政友会内閣(組閣中田中は井上準之助に外相就任を要請したが、彼が辞退したため首相が外相兼任、蔵相は高橋是清元首相)が成立(「官報…

城山三郎「男子の本懐」を読む11~20

城山三郎「男子の本懐」を読む11 帰国した年の10月、井上は検査役となり、星ヶ岡茶寮で毛利千代子(華族毛利家の娘)と結婚式を挙行しました。 THE CAPITOL HOTEL TOKYU―レストラン&バー 1900(明治33)年12月25日熊本の第九銀行(安田銀行・…